美人画と文学で識る古今女性の美

Pocket

美人画と文学で識る古今女性の美

~山種美術館「【企画展】上村松園 -美人画の精華-」~
8/29(火)~10/22(日)

関連トークイベント「芥川賞受賞作家 朝吹真理子氏講演会」
9/9(土)14:00~15:30

今回の特集は「描かれた女性」にフォーカスした展覧会と、それに関連したイベントを企画する山種美術館さんにお話をおうかがいしました。
まず、『企画展 上村松園 -美人画の精華-』(会期:8/29~10/22)では、画家として明治から大正、昭和に足跡を残した女性画家・上村松園(うえむらしょうえん)に注目しています。

―― 女性の社会進出が認められない時代に、筋を通す強さがあった上村松園氏はどの様な女性だったのでしょうか。

上村松園(1875-1949)は、近代日本画における美人画の名手として不動の地位を築き上げた画家です。女性の社会的な活動が現代に比べてきわめて限られた時代を生きながら、一途に画業に没頭しました。1948(昭和23)年には、女性で初めて文化勲章を受章しています。

京都の葉茶屋「ちきり屋」の次女として生まれた松園は、娘時代から人物を描くことを好み、鈴木松年、幸野楳嶺、竹内栖鳳といった京都画壇を代表する画家たちに師事しました。制作に行き詰まり思い悩んだ時期もありましたが、古画、歴史、古典文学、能、などを徹底的に研究し、格調高く気品に満ちた女性像を確立します。

松園は、生涯美人画を描き続け、自ら「元来美人画が好きでありまして、ただもうこう出てこなければならないという道を選んだ」という言葉を残しています。「一芸を立て通すとなれば男性の方でもそうに違いないが、殊に女性だとより以上に意志が強くないと駄目だと思います」というのも松園の言葉。男性社会で特別視されながらも、それを覚悟、勇気、強い意志をもって克服し、職業画家として近代を生き抜き、社会的な評価と地位を勝ち取った画家だったといえるでしょう。

―― 上村松園山種美術館創立者の山崎種二氏とは深い縁があったそうですが、どんなおつきあいだったのか、詳しく教えていただけますか。

山種美術館の創立者である山崎種二(1893-1983)は、上村松園松篁(しょうこう)親子と親しく交際し、松園が上京するたびに宿、車、食事などの手配をして手厚くもてなしています。元々は種二の妻・ふうが松園の作品を好んだことから、種二は松園の絵を集めるようになったようです。このことに対するお礼状として受け取った、種二に宛てた松園と松篁の親子の連名の書簡なども美術館には残されています。

ちなみに種二は松園以外にも、横山大観、川合玉堂、奥村土牛らを支援し、戦中などの物資の少ないときにお米を届けるなどの支援を続け、親しく交流しながら作品を集めていったことでも知られています。

上村松園 《蛍》1913(大正2)年 絹本・彩色 山種美術館
上村松園 《砧》1938(昭和13)年 絹本・彩色 山種美術館

 

―― 松園の絵の特徴と楽しみ方を教えて下さい。

描かれた女性の「肌」の表現で使われた絵具の透明感や、髪の一本一本まで丁寧に描かれた繊細な線描、鼈甲(べっこう)や簾(のれん)などが透けて見える表現などに松園の技術の高さを見ていただけます。こうした繊細な描写は、実物で鑑賞するときの醍醐味ともいえます。

 


【次ページ】ずばり「絵」の楽しみ方とは >>