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11月の課題図書『わたしを離さないで』(カズオ・イシグロ著)の翻訳を手掛けている土屋政雄さんに読書ログ会員の皆さんの感想を織り交ぜてお話を伺いました!

翻訳の世界へ飛び込んだきっかけを教えて下さい

生活のためです(笑)。経済学をやるつもりで大学に入り、2年目に奨学金をもらってアメリカに2年ほど留学して、会計学を勉強しました。ところが、帰国するとすぐに大学紛争が勃発して、授業どころではなくなりました。直後に結婚して、子供も生まれてくることになっていたので、思い切って大学を中退し、生活のために翻訳を始めました。

最初は技術翻訳をやりました。当時、コンピュータでは名実ともに世界一だったIBM社が新しいメインフレームを発表し、日本でも大々的に売り出そうとしている時期でした。マニュアルを充実させる必要に迫られ、翻訳を社内でこなしきれなくなって、外注翻訳者を募集することになりました。私は外注翻訳者の第一号として、以来30年近くIBMにお世話になりました。

先ほど留学をしたと言いました。この留学を支援してくださったのは「サンケイスカラシップ」です。同じ奨学金でフランスへ留学された方に、嶋中行雄さんがいます。中央公論社の嶋中社長の息子さんで、ご自身も留学から帰ると同社に入り、『中央公論』誌の編集に携わっておられました。私が翻訳をやっているということを奨学生名簿でご覧になったのでしょう。声をかけていただいて、『中央公論』誌に掲載される外国の論文の翻訳をやらせてもらうようになり、やがて単行本もやるようになりました。それがきっかけです。

昔から読書家だったのですか?

あまり本を読むほうではありませんでした。ただ、「講談」は好きでしたね。小さい頃はラジオでよく講談や浪曲や落語を聞いていました。漫才はあまり……。あるとき友達の家に遊びに行くと、部屋の真ん中に本が山のように積んでありました。なんだと聞くと、講談本だと言われました。その日から借りはじめて、結局、全部読んだと思います。ですから、文学の素養があったとすればそれかな(笑)。あとは、昔、講談社から出ていた、少年少女向けにアブリッジされた世界文学シリーズをあれこれ読みましたが、けっして読書家ではなかったです。

イシグロ氏も小さなころから読書家というわけではなかったと聞きますよ。少年の頃から本が好きで好きでというタイプじゃなかった。作家になってからはずいぶんお読みのようですけど(笑)

独自の翻訳スタイルというものがあるのですか?

自分の解釈をはっきり出すほうです。私はこれをこう理解した、と。普通、作者は解釈に口をはさみませんが、仮に作者から「これはこう訳して」と注文されても、妥当なら受け入れますが、首をひねりたくなるようなら、作者の思惑より自分の理解を優先させます。

カナダにマイケル・オンダーチェという作家がいます。彼の『イギリス人の患者』(新潮社)は、イシグロ氏の数年後にブッカー賞を受賞し、これを原作とした『イングリッシュ・ペイシェント』という映画はオスカーを9部門で受賞しました。私がこれまでに翻訳した最も好きな作品のひとつで、自分の解釈をもっとも強く打ち出した作品でもあります。私の翻訳スタイルを感じていただくには、これをお読みいただくのがいいかもしれません。

余談ですが、オンダーチェ氏はけっこう大らかな人で、私が爆弾処理のあれこれについてお尋ねしたときは、ずいぶん時間が経ってから「もう忘れたので、適当にやっておいて」と言われました。作者も全部が全部計算ずくではない、思い入れがある部分ばかりではない、訳者側で処理すべき部分も大きい、とあらためて感じました。

ノーベル賞受賞までの期待感

10年程前からカズオ・イシグロ氏ノーベル賞受賞への期待はありました。

そのころは、「もし受賞したら……」というコメント依頼がいくつかの新聞社からありました。この4、5年はそうした話がパッタリやんでいましたが、『忘れられた巨人』が出たあと、去年、今年と「もし取ったらコメントを」の依頼が復活してきていました。

でも、「今年はなかろう」と妻とも話していて、文学賞発表の日すら私はすっかり忘れていました。下の階でテレビを見ていたらしい妻が、突然なにやら叫びはじめたので、何事かと思い、廊下に出て「なんだい?」と呼びかけたところ……(笑)。ほんと、びっくりでしたね。「ほんとに今年なの!?」と思いました。

イシグロ氏の書くものはどれもいい作品です。しかし、寡作な方なので、とるとしてもあと1、2作品ぐらい後かなと思っていました。ですから、驚きました。

イシグロ氏の作品と他の作品とでは翻訳する上で何か違いはありますか?

自分では違っているとは思っていません。

高校時代に国語の先生から「君たち、わかるとは、理解するとはどういうことだと思いますか?」と言われたことがあります。つづいて「わかるとは自分の言葉で喋れることです。喋れたことが君の理解です」と言われました。

英語を読んで理解して、「こういうことを言っているんだな」とわかったことを言葉にする。ですから、私が翻訳した本はどれも、私はこの作品をこう理解しましたという表明です。どの作品でも同じで、作品ごとにやり方を変えることはしません。言葉の置き換えではなく、ひたすら理解して、その理解を書いています。


【次ページ】土屋さんが語る「わたしを離さないで」の理解!


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